過去の作品紹介 2015年度
2015年12月例会 『真夜中の太陽』
ねえ、みんな私のこと怒ってる?
どうして? なんで怒るの?
私だけ生き残っちゃって。
運命なんて、だーれも、自分じゃ決められないでしょ?
だって。
みんな、まだやりたいこといっぱいあったでしょ?
あったよ、あったぁ!
《ものがたり》
太平洋戦争末期、ミッション系の女学生たちが音楽室で空襲にあいます。
女学生たちは防空壕に避難しようとするのですが、「防空壕に入っちゃダメ!」と叫ぶ女学生がいました。その女学生はよく見るとおばあちゃんでした。
彼女は楽譜を音楽室に取りに戻ったため一人生き残った女学生で、防空壕の中で亡くなった友達を助けようと、70年近い時を経てふたたびあの日に還って来たのでした・・・・・。
《解 説》
『真夜中の太陽』は、劇作家の工藤千夏氏(劇団青年団)がシンガーソングライター谷山浩子氏の同曲をモチーフに自由に創作した幻想的な物語です。2009年に初演され静かに戦争の悲しみを訴えましたが、2013年、民藝が新たに舞台化しました。
夢と希望、楽しかったこと、つらかったこと、やり残したこと・・・・生死と時空とを超えて生きるよろこびを語り合う少女たち―――『真夜中の太陽』は、今を精いっぱい生きる人への応援歌です。
2015年10月例会 「怪談 牡丹燈籠」
なおかつ、いとしい人間の営みは、
くり返し、くり返し今に至っています。
日本の怪談噺「牡丹燈籠」を、
愉快に、風流に、妖しく
人形劇の世界で挑みます。
《ものがたり》
武芸者、飯島平左衛門の娘、十七歳のお露は、浪人者の萩原新三郎に恋したあげく、焦れ死にをしてしまう。お露は後を追って死んだ女中のお米とともに、夜な夜な牡丹燈籠を手に新三郎のもとに通うようになったが…
「四谷怪談」「皿屋敷」と並び、日本三大怪談と称せられている「牡丹燈籠」は、落語中興の祖として有名な三遊亭円朝(1839-1900)が口演し、噺の続きを聞きたいと毎夜、大いに賑わったということです。百年以上たった現在でも、落語はもとより、芝居としても多くの舞台で演じ続けられています。
《解 説》
プークは、1967年の初演(川尻泰司 演出)以来、林家正蔵(後の彦六)とともに、4度この作品に取り組み、1980年には「文化庁芸術祭大衆芸能部門芸術祭大賞」を受賞しました。
2009年には、30年振りに劇団創立80周年の記念公演として、すべて人形で演じる新たな牡丹燈籠に挑戦し、お露、お米、お国(飯島平左衛門の妾)、おみね(伴蔵の女房)、四人の女性のそれぞれの生き方を特徴的に描いています。また、大金を得ることによって変わっていく男・伴蔵の人間としての弱さ、滑稽さ、そして人生の歯車が狂っていく哀しさ、恐ろしさを人形劇ならではの表現を駆使して描き、各方面から多大な評価をいただきました。
ここ数年は毎年、各地の演劇鑑賞会の例会として上演が続き、大人のための幻想的、風刺的な演劇として楽しんでいただいています。
《今までにないものを創りたい ~装置 朝倉摂さんに聞く~》
人形は人間の芝居より繊細。そういうことでは、「牡丹燈籠」は、非常におもしろい素材で興味がありました。
私、30年くらい前まで谷中のあたりに住んでいました。戦後変わらない、下町でなければみられない土地。あのあたりで育ったことでその風景と匂いは大変貴重です。リアリズムの中にも飛躍のできる人形劇。装置プラン楽しみなんですよ。よい舞台を創りましょう。
2009年初演時
(公演チラシより)
2015年8月例会 「音楽劇 わが町』
1938年に初演されピュリッツァー賞を受賞した、ソーントン・ワイルダーの「わが町」。70年愛され続けた名作が2011年、新たな音楽劇に生まれ変わりました。
演出の西川信廣と音楽の上田亨があたためていた構想に宮原芽映の詞をのせ、ありふれた日常に散りばめられた、かけがえの無いものを問いかけます。
エミリーを演じる土居裕子をはじめ、魅力ある俳優陣がお届けする小さな町・グローヴァーズ・コーナーズの日々が、美しいピアノの調べと共に帰ってきます。
俳優座劇場が渾身の想いを込めてお贈りする、音楽劇「わが町」。ご期待ください。(公演ちらしより)
あらすじ
アメリカ・ニューハンプシャー州の小さな町グローヴァーズ・コーナーズ。ギブズ医師の息子ジョージと、隣に住む地方新聞の編集長ウェブ氏の娘エミリーは幼馴染み。穏やかで誠実な両親や町の人々に見守られ成長した二人は互いに恋をし、やがて結婚の日をむかえる。結婚式は町のみんなに祝福され新生活は幸せに満ちていた。だが9年の歳月が過ぎたとき、二人に思いもよらない出来事が訪れる……。
解 説
ソーントン・ワイルダーの3幕物の戯曲でピューリッツァー賞受賞作。ニューハンプシャー州のグローバーズ・コーナーズという架空の町での物語。
進行役である舞台監督によって劇が展開されていく手法が取られ、舞台装置はきわめて簡素で、机や椅子などが置かれているだけで、小道具や書き割りなどはない。すべては役者の動作によって表現される。この手法には日本の能や中国の演劇の影響があるとされる。
幕開きに、舞台監督が「グローバーズ・コーナーズでは何も特別なことは起こりません」と言う通り、登場人物の死や結婚以外劇的なことは起こらず、劇中ではそれすら日常的なものとして扱われている。しかし、その「日常」の貴重さを観客に感じさせる内容となっている。
劇中に登場する市民の誰もがそれぞれに自分の生活をそのままに生きている、そのなかでのちょっとしたかかわりがこの劇の物語の流れであり、また細部になっている。
劇は3幕構成で、第1幕は医師のギブス家と、新聞編集長ウェブ家を中心とした町の一日を描く「日常生活」。
第2幕は、第1幕の3年後、ギブス家長男ジョージとウェブ家長女エミリーの結婚式の1日を描く「恋愛と結婚」。
第3幕は第2幕の6年後、産褥で死亡したエミリーが、それ以前に死亡したギブス夫人ほか死んだ町の住民と墓場で会話する「死」。
1938年2月4日、ニューヨークのヘンリー・ミラー劇場で初演。1944年、亡命先のアメリカでこの劇の上演を観たベルトルト・ブレヒトは日記に「進歩的な舞台」と記している。