作品紹介(2024年)
50年近く愛され続ける
日本オリジナルのミュージカルが新演出で甦る!
1974年に西村 晃、有島一郎、前田美波里らで初演し、キャストを変え、全国で1200回以上上演を重ねてきた代表作! が心機一転、劇団青年座の若き力、金澤菜乃英氏と手を組んで、新しい魅力の「おれ天」を創り上げました。
脚本、音楽はオリジナルのまま、装置、衣裳、振付を一新、サスペンス、コメディ、ロマンス、ファンタジーの要素が全て含まれた、ミュージカル「おれたちは天使じゃない」、新演出で登場です!! 新バージョンでの上演、ご期待下さい。
【ものがたり】
ある年の大晦日、雪深い山荘に三人の脱獄囚が逃げ込んで来た。三人は「ねじ釘の哲」「泉の三太」「キャンパスの助六」と呼ばれている、人を殺した凶悪犯だった。
三人は偶然迷い込んだその山荘で、心ならずも心中しようとしていた父娘を助けてしまう。遺書によると父親の明は、借金を苦に自分だけが死んでしまうと、遺された末娘の光子は知的障害があるため、生きていくのが困難だろうと思い悩んだ末の無理心中だった。 意識を取り戻した光子は、自分を助けてくれた脱獄囚たちを“天使”だと思いこんでしまう。
買い物から帰って来た姉娘のエミは、父と妹が心中しようとしていた事を知って愕然とする。そして、家の中には見知らぬ怪しげな男たちが三人………。
そこへ父娘が自殺を図る原因となった人物である、父親の従兄弟の黒川とその息子でエミの婚約者の始が何も知らずに訪ねて来て………。
――例えば彼女が教師じゃなかったら、あの恋愛はスタートしていたのだろうか。
もしも彼が大人だったら、あの恋は成就していたのだろうか。
小さな囲いの中で形成される数百人のコミュニティ。彼らの眼に映る世界の先に、実社会はつながっているのだろうか。教育現場を舞台に、教師と生徒の関係、さらには生徒と親と学校の距離感などを丁寧に紡ぎ「慈愛」に溢れた世界を作り出しています。
【あらすじ】
とある県立高校。
国語教諭の浦川麻由は担任するクラスの舞原健の相談に乗っていた。
健が所属するサッカー部顧問の戸倉治と問題を共有し、モンスターペアレントの母からのケアに気を配る日々。そんな折、スクールカウンセラーの藤堂智絵が着任し、意気投合する。
とある県立高校。
国語教諭の浦川麻由は担任するクラスの舞原健の相談に乗っていた。
健が所属するサッカー部顧問の戸倉治と問題を共有し、モンスターペアレントの母からのケアに気を配る日々。そんな折、スクールカウンセラーの藤堂智絵が着任し、意気投合する。
一方、藤堂のもとにはサッカー部マネージャー奥野早織がいの一番に訪れ「浦川先生と舞原くんが怪しい」と衝撃の告白をする…。
小さな汽船が行き来する瀬戸内海の小さな島。白い大きな花をつける泰山木。その木の下で質素に暮らすハナ婆さんは、貧しいながらも9人の子どもを産み、戦争中に優良多子家庭として表彰されました。しかし3人の子は戦死、のこる6人の子までも、広島の原爆で亡くしていました。思えば、殺されるために産んだようなものだ――。悲しい体験をもつハナは戦後、人助けのつもりで、頼まれると密かに子どもをおろして
早春のある日、ひとりの男が泰山木のその家を訪れます。堕胎の罪でハナ婆さんを逮捕しにやって来た木下刑事です。御幸署へ連行する船中でハナ婆さんの話を聞く木下刑事も、また誰にも言えない苦悩を抱えていたのでした……。
瀬戸内海の美しい叙情と、時代の波に抗いながら必死に生きる人びとの哀歓をうたいあげる小山祐士作品。1963年初演いらい宇野重吉演出・北林谷栄主演により、ロングラン上演を重ねてきました。このたびは丹野郁弓演出で、あらたに日色ともゑがハナ婆さんを継いでいきます。
【ものがたり】
南の国のある村。ある日、台風に襲われる。
荒廃した農場を二束三文で買いたたいて強奪した傲慢な地主オッペルと、虐げられて働く百姓たちがいた。そこに新しい世界を求めて群れを離れた白象がやってくる。
初めは働くことを楽しんでいたが、百姓の仲間には入れてもらえず、食事のわらも毎日少なくなっていく。
体力も気力も衰えた白象・・・。
ある事件をきっかけに、白象に寄り添う小さな命が、白象を救うため、遙か彼方の森に向かって走り出す。
果たして白象の運命は・・・。
【解説・その他】
”人形が本当に生きているようで…”
”人形と人の呼吸、舞台装置、音楽全てに感動!”
”人間の表現力、創造力ってすごい!と涙が出ました”
2019年に劇団創立90周年記念公演として、脚本・演出を一新!
賢治とプークが送る、今を生きるすべての人へのメッセージ
【あらすじ】
昭和28年7月。終戦後7年以上も異国フィリピンのモンテンルパ刑務所に収容されていた、死刑囚を含むBC級戦犯108人が横浜港に降り立った。 二度と、生きて故国の土を踏むことはできないと絶望していた彼らを救ったのは、一曲の歌だった。
彼らの釈放をキリノ大統領に決断させた歌とは 「あゝモンテンルパの夜は更けて」
この歌を歌った歌手、渡辺はま子(島田歌穂)。
そして、この歌をキリノ大統領に届けるべく奔走した僧、加賀尾秀忍(大和田獏)。
二人の情熱が交錯するとき、歴史は動く・・・。
【解説・その他】
モンテンルパ捕虜収容所――。フィリピン、マニラにある白亜の建物。 東洋一と呼ばれた刑務所には、戦後主にBC級戦犯約150名が収容され17名が処刑された。
1949年、教誨師として日本から派遣されたひとりの僧が、囚人と共に生活していた。
「この人たちを救わないで、どうして僧と言えようか」
日本政府からの給金を打ち切られてもなお、受刑者を支え励まし続けた、加賀尾秀忍。 一方、戦犯が作詞作曲した「モンテンルパの夜は更けて」をレコードにし、刑務所を慰問、フィリピン政府当局に減刑・釈放を嘆願し、当時のフィリピンの首長であったキリノ大統領に日本人戦犯の釈放を決断させ、全員の日本への帰国の実現に寄与した歌手、渡辺はま子。
この二人を軸に、戦後の知られざる史実に果敢に挑む。